『イージーライダー』がらみで、今回は『アリスのレストラン』について書く。
このふたつの映画は、ほぼ同時期に制作、発表されている(1969年=昭和44年)。
この時期、アメリカはベトナム戦争の泥沼にはまりこみ、苦しんでいた。
その8年前、第35代アメリカ大統領になったジョン・F・ケネディは、ソ連との宥和と軍縮、人種差別撤廃などを訴え、外交より内政に力を入れようとしていた。それは、当時のリベラルな風潮にもピッタリ合っていた。
ケネディは、父親の莫大な資産があるので、誰に媚びを売ることもなく、思う存分理想主義を語ることができたし、実際に実行もできた。例えば、キューバのバティスタ政権の、ヘロイン輸出基地を叩き、マフィアが支配する組合を潰し、公民権運動の父キング牧師を支援した。
その初々しさ、率直さ、そして大胆さが、ケネディの何よりの魅力だった。
ところが、翌年そのケネディに「キューバ危機」が襲いかかる。世界は、全面核戦争の一歩手前まで行った。
だが、実はこのキューバ危機。9.11同様、CIAの間違った情報によって起きたらしいのだ。CIAが、保守主義で民族主義者だったカストロを、共産主義者と報告し、それを信じた前任者アイゼンハワーが、カストロを侮辱。さらに、ケネディもカストロ暗殺を企てたために、怒ったカストロがソ連陣営に走ったと言われている。こちら
ケネディは激怒し、CIAを解体しようとしたが失敗。さらに、いったんは内政干渉と言われるほど、深く関わったインドシナ戦争からも手を引こうとした。それが、彼の暗殺(1963)に繋がったと見る人も多い。
その証拠というのも何だが、ケネディ暗殺翌年の1964年、ジョンソン大統領とマクナマラ国防長官は、「トンキン湾事件」を自作自演。それを口実に、インドシナ戦争への全面介入を宣言。ついにベトナム戦争が開始された。
だが、アメリカが支援した当時の南ベトナムは、とても腐敗した国であったし、戦争の大義名分も、冷戦に勝つということしかなかった。
それに、ジョンソン大統領は、ケネディ暗殺の首謀者と疑われ、しかも、戦況は敗戦に継ぐ敗戦で地獄のよう。反戦・厭戦気分は、国際社会にまで広まり、戦場の米軍兵士は麻薬中毒、帰国後も人殺しと批判される始末であった。
1967年。当時の世界ヘビー級王者モハメド・アリが、ベトナム戦争での兵役を拒否。王座を剥奪され、そのニュースは世界中を駆けめぐった。
その2年後の69年、この映画が作られた年、新大統領となったニクソンは、ベトナムからの「部分撤退」を開始したが、依然として戦闘は続いており、アメリカの内政、外交は混乱を極めていた。
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