2011年07月07日

リベラリズムの罠とほんとうの自由

ふと思った。
今の民主党は、サヨクの名にすら値しない。
だが、どうしてこんな政党が、政治家が生まれてしまったのか?本人の資質だけでは、この政党レベルの現象は説明し切れまい。

民主党はリベラルを標榜する。
だから、リベラル誕生の歴史をひもとけば、何か答えが出てくるのではないだろうか?

以下は、ぼくがなんとなく空想したこと。史実でもなんでもない。

 

フランス革命の標語「自由」「平等」「博愛」は、以下のように考える限り、まっとうな要求になる。
・ユダヤ人への自由
・ユダヤ人への平等
・ユダヤ人への博愛

理由は、ユダヤ人が近代になって、市民的自由を奪われ、迫害されることが続いたからだ。

しかし、ユダヤ人以外の人間にとっては、これらの言葉は毒にしかならない。
理由は二点。
1.すでに、自由も平等も博愛も享受している人間が、さらにそれを求めたら破壊になる。
2.これらの言葉を求め、崇拝し始めるや否や、その人間は自分たちを成立させている、伝統的社会システムや文化を失う。

この辺の理屈は、ちょっと判りづらいので、以下の引用文を読んでほしい(一部改訳)。

・・・・
2. 政治権力を奪取するには、「リベラリズム」を説くだけで十分である。そうすれば、有権者は1つの思想(リベラリズム)のために、自らの力、特権を手放すことになる。その放棄された力、特権をかき集めて手中に収めればいい。

3. 「金の力」は、リベラリストを支配する権限を奪取した。「自由」が「信仰」に置き換えられても、大衆にはどのようにして自由を享受すればいいのかがわからないからだ。「自由」という思想を利用すれば、「階級(身分)闘争」を生じさせることも可能だ。そして、勝者は必ず「我々の資金」を必要とする。だから、計画さえ成功すれば、政府がクーデターで倒されようが、外国から侵略されて消滅しようが、それは大した問題ではない。

・・・・
10. 我々は、「自由・平等・博愛」という言葉を、大衆に教え込んだ最初の民族である。今日に至るまで、この言葉は愚かな人々によって繰り返されてきた。ゴイム(家畜、豚。ユダヤ人以外の人間のこと)は、賢者であると自称する者でさえ、難解さゆえにこの言葉を理解できず、その言葉の意味と、その相互関係の対立に気づくことすらない。これは、我々の旗を掲げる軍隊(金の奴隷)を、我々の指示と統制のもとに置く言葉である。「自由・平等・博愛」のための場など、自然界には存在しない。ゴイムの、自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会をつくりあげた。それは我々の拠りどころ、すなわち富を参加資格とする貴族社会である。

・・・・
21. ゴイムから、その不動産、産業を奪うため、経済的な国家利益および投資に関する限り、重税と不当競争を組み合わせて、ゴイムの経済破綻を引き起こさなければならない。国際舞台において、ゴイムが商売ができないように、仕向けることは可能である。つまり、原材料の巧みな支配、短時間労働および高賃金を求める、組織的煽動運動(労働運動・組合活動)の普及、競争者の助成によって、それは実現できる。賃金の増加で、労働者が潤うことが決してないよう、(争いの種がなくならないよう)状況を管理しなければならない。

22. 最終的には、我々の運動に尽くす少数の金持ち、および我々の利益を守る警察、兵士と、プロレタリアートの大衆が残ればいい。ゴイムに殺し合いをさせるため、大々規模の武装増強が開始されなければならない。

23. 世界単一政府のメンバーは、独裁者によって任命され、科学者、経済学者、財政専門家、企業家、大金持ちの中から選出される。実質的には万事、数字(カネ?)で解決がつく。

これは、初代ロスチャイルドが作成した、「二十五項目の行動計画書」(1773)にある言葉だ。こちら

今回、この文書の真偽を問うつもりはない。
そうではなくて、ここに書かれている、
「ある動かし難い事実」
を、取り上げたいのだ。

それは、
1.リベラリズムは、道徳では動かず、利益で動く人間を作り出す。
2.利益で動く人間は、自生的秩序、自然的・慣習的・伝統的道徳の庇護を失う。3.それゆえ、より多くの恣意的、人工的な規制に縛られるようになる。
という点だ。

「自由」
とは、
「目的のために、自然的・社会的条件を緩和すること」(広辞苑を概括)
と、一般的には解釈されている。
だが、その解釈は間違っている。

たとえば、この解釈だと、
「働かずに金が欲しい!」
「奴隷にするための女が欲しい!」
と思っても、健全な社会なら、警察やら宗教やらが邪魔をする。だがもし、それらの条件を緩和できれば、それは
「自由の増大」
になる、ということになる。

でも、そんなことをしたら、その人間は自由を感じるかもしれないが、同時に
「道徳的人間」
「規律ある社会の一員」
としての立場から、一転して、
「野獣」
になってしまう。
野獣が集まれば、弱肉強食の世界が現出するから、女子供老人などが、安心して暮らせる世の中は、もはや消え去るしかない。
それが、
「特権の放棄」
だ。

馬鹿ですか これは、近頃の小中高校生の、傍若無人ぶりを見れば、よく判ることだ。
彼らは、どこでもケータイできる自由、ゲームできる自由、マンガが読める自由を求めることで、逆に、自分が安心して生きて行ける環境を、破壊しているのだ。

そして、これらの失われた安全、信仰、優しい心などの「特権」を、ユダヤ財閥や朝鮮財閥、あるいは中国の財閥が拾い集めて商売にするわけだ。
すると、どうなるか?
・やたら規制が強力な、民間警備会社が乱立。
・全ての対立勢力を、調停する会社が乱立。訴訟だらけになる。
・優しい心を育てることを売りにした、洗脳系学校が乱立。
・人権を守るという名目で、人々を勝手に投獄できる政府組織が乱立。
等々。

失われた自然な習慣、伝統や重要な価値が、すべてビジネスチャンスになり、金持ちが人々を支配するための道具になる。

自生的、自然発生的に作られた秩序や価値は、すべて消え去り、財閥に都合の良い、人工的な価値観がそれに取って代わるわけだ。

すべての安全・安心が、金で買われることになるから、ぼくらは働いても働いても、貯金ができない。
そこで、ついついクレジットカード(財閥の安定的資金源)に手を出すわけだ。

こうしてぼくらは、自由を得た代わりに、安心して暮らせる社会(自生的で伝統的な社会)を失い、借金だらけ、規制だらけの、苦しい生活を手に入れるわけだ。

規制を嫌い、捨てたら、もっと大きな規制に支配されてしまったってことだ。

ほんとの自由って、こんなものではあるまい?

ほんとの自由ってのは、自生的秩序そのものだ!!
自生的であるからこそ自然で、自由な感じがあるし、秩序の中でしか、ほんとうの自由も育たないからだ。

自由とは、伝統のことなのだ!!

 

 

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posted by インク at 19:11 | TrackBack(0) | サヨク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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