2011年06月06日

『もしドラ』の嘘

今回は叩く 前回、『もしドラ』を大いに褒め称えた。
その気持ちに変わりはない。ないが、それでも次のことだけは書いておかねばならない。

問題は、最終場面にある。
ぼくと、まったく同じ感想を持ったブロガーの記事があったので、そちらから一部省略しつつ、引用させてもらう。
乱読雑記』様より

甲子園出場を決めた野球部のキャプテンが、どんな野球がしたいのかとインタビューを受けている場面である。

すると正義は、しばらく考えた後、こう言った。 「あなたは、どんな野球をしてもらいたいですか?」 正義は、インタビュアーに向かってそう言った。 それで、「え?」と面食らったような顔になった彼女に対し、正義は続けて言った。「ぼくたちは、それを聞きたいのです。ぼくたちは、それをマーケティングしたいのです。なぜなら、ぼくたちは、みんながしてもらいたいと思うような野球がしたいからです。ぼくたちは顧客からスタートしたいのです。顧客が価値ありとし、必要とし、求めているものから野球をしたいのです」 そう言うと、みなみの方を振り返り、ニヤッと微笑んでみせたのだった。 (P266)

そもそも、これ高校生の答えかよというツッコミはあるけど無視して考えても、この答えはおかしい。正義くんのセリフに「必要」という言葉はあるけれども、全体として「顧客の要求するものを与えれば、それで良いのだ」という態度が感じられる。顧客優先は良いけれども、顧客が全てを知っていると考えてはいけないのだ。

* * *

同僚の言葉を思い出す「顧客の欲しがるものではなく、顧客の必要とするものを提供せよ。顧客は欲しいものが何かは判っているが、必要とするものが何か判っているとは限らない」。

* * *

どんな野球がしたいかと聞かれての最後のセリフ、野球部のキャプテンの正義くんには「野球部に、野球に関わったみんなが幸せになる野球がしたい」と言って欲しかったと私は思う。

全く同感だ。完全に同意する。

ぼくが、前回そのことに触れなかったのは、
「顧客の欲しがるものではなく、顧客の必要とするものを提供せよ。顧客は欲しいものが何かは判っているが、必要とするものが何か判っているとは限らない」
ということを、ドラッカーがどこかで語っているはずだと思い、それを探してから批判しようと考えていたからだ。

今回、探してみたらちゃんとあった。
すぐ見つかった。それも、『もしドラ』がさんざ引用している、『マネジメント 』の中にだ。

企業によって満たされるべき顧客の欲望は、ドラッカーによれば3つある
(1) 消費者によってすでに感じとられている欲望(the felt want)
(2) 消費者によっては、まだ感じとられてはいない欲望(the unfelt want)
(3) 企業によって創造された欲望(the created want)

上記の、顧客が「必要とするものが何か判っているとは限らない」状態は(2)である。そして、それを提供することが(3)である。それを 「顧客の創造」 とドラッカーは呼んでいるのだ。
だから、上記の最終場面は間違いだ。インタビューを受けた正義が、得意満面口にしたことは、「顧客の創造」に対する、とんでもない誤解だ。

しかもこの誤解は、悪意ある嘘を生む。『乱読雑記』の著者が言うように、
顧客の要求するものを与えれば、それで良いのだ
という考えを、企業文化として広める役を果たす。
それは、
・今日のマスゴミの体たらく、
・政治の衆愚ぶり、
・企業の売国ぶり、
・企業の守銭奴ぶり、
・企業の創造的人物への抑圧ぶり
等に一致する。

あるいは、こう言って良ければ、どこかの誰かさんのような、
・「100億震災地に寄付する」 と言っておきながら、まったく寄付せず放置
・週刊誌で問題にされると、あわてて自分が作った団体に寄付すると発表
・しかも発表しただけで、未だ何もしていない
・・・という、菅直人そっくりのやるやるサギ・・・にも一致する。こちら

ちなみに、このどこかの誰かさんは、『もしドラ』の上記最終場面に登場した、「将来社長になるために、今は野球をしている」 という、正義君と同じ名前だ。 しかも何の狙いか、菅直人をヨイショし、媚びへつらっている。

余計な心配かもしれないが、この
「衆愚と守銭奴を生み出す姿勢」
は、もしかすると、そのままこの著者の執筆態度にも跳ね返っているかもしれない。
ドラッカーについて、肝心要のところで嘘をつき、しかも登場人物の名前を、ある大企業のオーナーと同じにするという、ゴマすり的一工夫を凝らしたということは、
1.売らんかな姿勢の、出版社に媚びた
2.ドラッカーと言えば権威であるから飛びつくけれど、中身は全く理解していない、従って企業としての実態も、衆愚・売国・守銭奴そのものであるような、図体ばかりでかい二流企業に媚びた
・・・・という可能性を、感じさせるからだ。

しかし、ドラッカーはドラッカーだ。
この著者は、ドラッカーのふんどしで相撲をとり、ドラッカーの解説で食っている、一介の寄生虫に過ぎない。

とは言え、『もしドラ』はドラッカーを非常に身近にしてくれた点で、ほんとうに役立つ本でもある。
ただ、ちゃんとドラッカーを読むことだ。そうすれば、あの最終場面だけは嘘だと判る。だから、『もしドラ』をキッカケに、ぜひドラッカーをもっともっと読んでほしい。
ぼくが望むのはそれだけだ。

こういうことは、世の中に沢山ある。 誰しも完璧じゃない。誤解が生まれるのはしょうがない。

ただし、嘘やサギだけは願い下げだが。

posted by インク at 00:20 | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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