2011年06月01日

サヨク問題の本質

本質は何か?

サヨクに関し、観察可能な事実は、
1.ミクロの正義、マクロの抑圧。
2.目的のためなら、手段を選ばない。
3.「何が正しいか」ということより、「誰が正しいか」にこだわる。
4.協調性がない。
5.代理ミュンヒハウゼン症候群に近い行動傾向がある。
6.国力を下げる。
であった。
一方、推測される共通の心理傾向は
・非現実性
・反社会性
・暴力性
・幼児性
・嗜虐性
だった。

そして、このふたつを照合しようとすると、とてつもなく面倒な事になる。だったら、サヨク問題の本質とは、いったい何なんだ?
というのが、前回のエントリだった。
「本質」
という言葉は、
1.あるものをそのものとして成り立たせているそれ独自の性質
2.変化常ない現象的存在に対し、その背後または内奥に潜む恒常的なもの
・・・のことだ(広辞苑)。

だから、こう言えるだろう。
「サヨクそれ自体の本質」
を問うと、心理面に行ってしまう、と。
しかし、
「サヨクがもたらす問題」
の本質を問うなら、答えは違ってくると。

結論を先に書こう。
6.国力を下げる
これである。
これこそが、サヨク問題の本質だ。
1〜6まで挙げた行動の中で、これだけが現実にとっては、最も甚大な影響力のある欲望、行為である。

このことは、いくら強調しても強調し過ぎになることはあるまい。
誰がどのような妄想を持とうが、勘違いをしていようが、おかしな心理傾向や反社会性を持っていようが、大したことはない。
いずれ、大した結果に結びつく可能性はあるが、それ自体は国家に甚大な被害を与えはしない。
つまり、国力を下げる結果を生まなければ、それがどんなに奇矯な意見、傾向であっても、とりあえず問題はないのだ。

だが反対に、現実に国力が下がってしまうとなれば、その妄想、勘違い、心理傾向、思想は、極めて抑圧的であることになる。
大問題だ。

 

 

結局、サヨク問題とは
「国力を下げようとして、陰謀を働く人間たちが、同一国内に棲んでいる」
という問題なのだ。
そこが本質であり、それ以外のことは、目に付いたり鼻についたりはするが、大した問題ではない。

どのような出自だろうと、どんな心理傾向を、あるいはどんな行動傾向を見せようとも、彼らが国力を下げようとして、さまざまな権謀術数を用いていること、それだけが、それ自体が問題なのである。

心理的動機など、おそらく種々雑多であろうし、真因となる陰の人物もあまたおり、タイプもそれぞれ違うであろう。
そんなものを追求しても、とうてい分析しきれるものではないし、できたとしても仮説の域を出ない。
だが、彼らが国力を押し下げようとしていることだけは共通だし、国力は定量的に観察可能な、科学的事実だ。証明が可能なのだ。

そして、国力がそれほどの説得力を持つゆえに、サヨクは過去どれだけ内ゲバを繰り返していようと、国力を下げる必要があると思えば、雨水や汚水が下水口に流れ込むように、一カ所に集まってくる可能性があるのだ。
事実、今の民主党政権には、過去の主立った過激派が、相乗り状態で棲息している。革マル、中核、解放派、解同、総連などだ。
つまり将来は、民主党、社民党、日本共産党、公明党、その他のサヨク政党が、状況次第では団結して、利敵行為に走る可能性だってある、ということだ。


どう戦うか? 

サヨクは、ほんのちょっと狂っている人から、大々的に狂ってしまっている人まで、程度の差はあれみな異常者だ。
ふつうの人間が、茶飲み話で説得しても、サヨクを辞めることは、まず無理であろう。

田原は後に四宮に屈する 忠君愛国の獅子吼、四宮正貴を激怒させた、あのハイエナのごとき田原聡一朗が、保守に転向するなどという話は、(それが本当なら)奇蹟みたいなもんだ。こちら

だが、国力が上がることで生まれる素晴らしさには、万言に代わる説得力がある。
国力とは、国防力や国民の能力も意味するが、主に経済力を指す。つまり砕いて言えば
繁栄
だ。
繁栄には限界がない。創造力と工夫しだいで、幾らでも国の力は伸びる。繁栄もする。
「経済成長は、ある時点でストップする」
など言う奴は、サヨクであるか、イノベーションを知らずに、勝手なことをほざいているのだ。

ということで、目に見える繁栄をもって、戦うしかないとぼくは思うのだ。

議論などせずに、黙って明日を夢見よう。明日がもっと良い日になるよう、努力しようということだ。
物質に拘泥したくなければ、豊かさの証としての、シンプルライフや、無印良品、ユニクロなどを楽しめば良いのだ。
清貧などと格好をつけても、貧困は惨めだし苦しいものだ。しかし、豊かさの中での質素な生活なら、とても贅沢な感じがする。

革命的祖国敗北主義の権化 ただし、 サヨクは繁栄する人々を見て、顔をしかめ、後ろ指を指し、九条や無能マンの幟を立て、カラフルな帽子を被って、高尾山に現れたりするだろう。
それで、清貧を実践しているつもりなのだ。
だが、そんな態度は、天に唾するものでしかないということを、われわれは今では知っている。

われわれは、彼らの混濁した頭脳に較べ、国力を下げてはいけないこと、繁栄を夢見る生活こそ、人間的に正しいことを、明晰に知っている。
「二番じゃダメなんですか?」
などと発言し、「縮小均衡」に皆の暮らしを追い落とそうとする彼らと較べ、ぼくらは創造力と想像力、勇気と気概、適切かつ正常な欲望を備えている。
後は、その気持ちのまま生活するだけで、十分だとぼくは思う。

サヨクとは、畢竟
「反・繁栄の画策者」
なのだ。つまり、抑圧者だということだ。

今や保守の顧問? 国力とはコレ
posted by インク at 00:00 | TrackBack(0) | サヨク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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