2011年04月16日

評価よりも結果

嫌な奴にあった。

海老蔵の上から目線ぶり どんな風に嫌な奴かというと、
1.知識が豊富
2.経験が豊富
3.だけど、人を見下すのが好き
4.攻撃の糸口を見つけるや、鷹のように襲いかかり、人に恥をかかせまくる。
5.自意識は強いが、惻穏の情がまるでない。
・・・という奴。

超上から目線のキャラ そいつに二日間、16時間余りにわたり、延々と自慢話を聞かせられ、時に説教されまくった。
仕事とは言え、ほんとうに辛かった。
他人の自慢話と、他人からの説教ほど、面白くないものはない。だが、自分の自慢話と、他人への説教ほど、面白いものもないに違いない。

ぼくにとって、その16時間は苦痛と屈辱以外のなにものでもなかったが、そいつにとっては、得意絶頂の16時間だったに違いあるまい。別れる時、もの凄く上機嫌だったもの。
でも、ぼくはげんなり。
帰宅して、そいつの意見も、顔かたちも全部忘れて、入浴し、映画を観て、さっぱりするのに、2時間以上かかった。

 

こういう腹立ちは、正しい、正しくないは関係ないようだ。
自動車教習所の教官が、嫌われる理由(口の悪さ)に似ている。

たとえば、一時停止が不完全だったとする。
不完全な一時停止違反は、とりあえずは道交法違反だ。でも、軽微な違反だろう。ふつう、大事に至ることは、まずないからだ。

だが、悪い方へ悪い方へと考えたら、決して軽視はできない。
大事故に繋がることもあるだろうし、警察官によっては、見とがめて切符を切る場合もある。
何らかの事情で、これ以上道交法違反ができない会社が、その違反者を馘にする場合も出てくる・・・というわけだ。

映画『免許がない!』 しかし、だからと言って教官が、 
「運転なんか辞めて、一生自転車に乗ってろ!」
「こんな簡単なこともできないのか!馬鹿か?馬鹿だろ!認めろよ、え?」
「気づかなかったじゃないよ!ちゃんと見てろよ!世の中を舐めてるから、そうなるんだよ!」
等と、教習生を侮辱することが、果たして許されるのだろうか?
「そこまで馬鹿にされる理由はありません!」
と、誰だって言いたくなるのではないだろうか?

要するに、理由が正しかろうが何だろうが、人は侮辱されることを、決して許さないわけだ。
それは、この間TVでさんざ流れた金子みすずの詩にも、詠われている。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。

辞書を引くと、
「正しい」
とは、
「よいとされるものや決まりに合っている」(広辞苑)
という意味で、
「侮辱」
とは(漢和辞典から判断すると)、
相手の自信を奪い、いたたまれない気持ちにさせる行為
を意味している。

いたたまれなくなれば、その人は消える。
この世には、周囲の人間を手当たり次第、消してしまいたい人間が、何人もいる、ということなのかもしれない。

ぼくも、たぶんその一人だ。

今回の16時間に及ぶ苦行は、決して無駄ではなかった。
ぼくは、気づいた。
ぼくは、今まで民主党やサヨクの主張に対し、人を侮辱し、消し去ろうとする意図を、強く感じてきたが、
1.ぼくも、サヨクを侮辱することで、サヨクと同じことをやってきている。
2.大切なのは、評価ではなく、結果を出すことだ。

あれはダメだ、これはダメだとレッテル貼りをする。
また、その理由を延々と書きつづる。そして、それがいかにも正しそうに見えたとする。
でも、そんなことに価値はない。

大切なのは、より良い結果を出す行為だ。
政治ブログで言えば、事実を述べること。数字を出すこと。ソースを明確にすること。
西岡議長の菅内閣への苦言も、政治家として、より良い結果を出そうとした行為だ。こちら
これに対し、NHKが石原都知事の発言から、
「パチンコ」
の部分だけをカットして、自販機だけの規制に世論を持って行こうと操作しているのは、公共放送の職分を忘れ、パチンコ・マネーに買収された行為であるか、少なくとも評価の改ざんだ。こちら

菅が、どのくらい無能か有能かと言った評価は、各自が自由に持てば良い。そして、そこでは争わないことだ。
互いの意見の違いは、認め合い、そっとしておくことだ。
だが、良い結果だけは出すことだ。
菅の辞職しかないと思った政治家は、そう提言すれば良い。ブロガーは、正確な情報を流すべきだ。
だが、何の力もないぼくが、同じことを言って何になる?それでは、良い結果は出ないではないか!

結果の出ないことに、熱中してどうする?
総理や野党党首でもないのに、そっくりの発言をしてどうなる?
ランキング上位のブロガーでもないのに、ジャーナリストの真似をしてなんになる?
日本を代表する哲学者でもないくせに、日本の全知識を代表するような発言をして、いったいどうなると言うのか?

だから、今の政局や政治家が、どのように見えてこようと、そのことでは決して言い争うことはせず、とにかく日常生活に、良い結果が出るよう、毎日を工夫して行こうと思うのだ。

正しいことを言おうとするのではなく、良いことをする
正しくなくても良いから、良くあれ。
そんな風に思った。つくづく、思った。

 

 

 

 

 

 

 


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posted by インク at 07:38 | TrackBack(0) | 暮らしのひとこま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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