2011年02月09日

正直さとはパワーのことだ

前回、ひょんなことから「人生の目覚まし時計」が鳴ってしまい、尻に火が点いた友人の話をした。

この友人は、何とか言う資格試験を受け、独立開業を目指すことにしたようだ。
今度は、そのための「つなぎの仕事」を探し始めた。
つなぎにさえなれば、何だってやる(笑)」
と言ってる。
恥も外聞もない真っ正直対決何か、憑きものが落ちたように、スッキリした顔になった。

たぶん、正直さはこういうパワーを生み出す元なんだ。
いや、正直さがそのままパワーなのかもしれない。なんて言うか、区別して考えない方がリアルな気がするわけよ。
この人を見よってね(右図)。

変な例だが、ぼくにもこんなことがあった。

 

 

急に、足の親指が痛んだのだ。
本を読むと、通風ではないかと思えた。
「虎に噛まれたような、猛烈な痛みが続く」
と書いてある。ぞっとした。緊張した。

その日は、すぐに徹夜の仕事が始まるので、医者に行くわけにも行かない。
出かけるまで、あと10分しかない。
ところが、ぼくは
(まだ10分ある!)
と断じ、走って行って近所に二軒ある薬屋に飛び込み、通風に効くという漢方薬を買って戻ると、そのまま荷物を持って駅に向かった。
ぼくの勢いを見ていた家人が、
「はっや・・・・」
と呟いたのが、出がけに聞こえてきた。
駅に向かいながら
(へえ、そんな凄い勢いだったか?今まで、てきぱきしたところ、見せたことなかったかなぁ)
と、ちょっとだけ反省した。

幸い、足の痛みは通風ではなかったらしく、そのまま消えてしまった。
それにしても、ふだん当たり前と思っている自分の健康。それが、突然消えたと思ったときの、ショックったらない。

ふだん、何気なくしていることの価値。当たり前と思っていることの価値。
そのかけがえのなさに、突然、気づかされることは、他にもある。

沖縄に行く飛行機が、乱気流に巻き込まれ、機内が一瞬で大混乱になった時は、とにかく家人と電話で話したかった。すごくつまんないことで良いから、会話を交わしておきたかった。
北総台地
学生時代、バイトで千葉に行き、渺々たる北総台地に囲まれた、工事現場に何日も張り付いた時は、早く東京に戻り、喫茶店に入り、マンガを読みたくて、心の中で号泣していた。自分でも、この欲望にはビックリした。
たかが喫茶店。たかがマンガだ。なのに、今は100万積んでもそれが欲しい。
東京に戻れる日がきた。天にも昇る心地で電車に乗った。しばらくすると、東京に近づくにつれ、女の子がきれいになってくることに気づき、ビックリした。ここ何週間か、ジャージ姿の中学生か、農爺か農婆を、それもぽつりぽつりとしか、見ていなかったせいだろう。しかし、それにしても鮮やか過ぎた。
これで、新宿に出たらどうなっちゃうんだろうと思っていたら、案の定、そこはもう「美女の海」だった!
道行く女性は、みんなきれいだった。甘い、佳い香りがした。嬉しいやら、有り難いやら、愛しいやらで、誰彼なく話しかけたい、抱きつきたいという、衝動に駆られた。脳みそがピンク色になり、爆発したかと思った。
「おしゃれって良いなぁ!着飾るって、サイコーじゃん!イルミネーションって、もうホント有り難いなぁ!ああ、都会って嬉しい!」
呼び出した友人に、そんなことばかり言って、呆れられた。

知人に、売れない絵描きがいた。彼にも、人生の目覚まし時計が鳴った。
彼は、周囲に異常なほど気を遣うタイプで、いつも遠慮がちに、おずおずと振る舞っていた。
そんな彼が、あまりにも絵が売れず、筆を折るかどうかで悩んでいた時、ある芸能人のマネージャーだという人に会い、凄く叱られた。
「お前の言うことは、ゴチャゴチャしてる。ちっとも分からん。お前は、ホントは何がしたいんだ!早く言え!何してんだ、さっさと言えよ!おらおらおら!早く言えよ、この野郎!」
始めは我慢して聞いていた彼も、彼のあまりのしつこさに、ついにブチ切れて
「うるせーよこの野郎!分かるわけねーじゃねーか!うるせえんだよ!」
と、爆発した。
すると、そのマネージャーは、
「ほら見ろ!凄いパワーがあるじゃないか!それだよそれ。それがお前だ!どうしてその力を使わないんだ!」
と、笑い出したそうだ。
「え?・・・だって、こんな失礼な態度とって、それで良いわけないじゃないですか・・・」
たぶん、彼は急にしょんぼりして、そう答えたのだろう。
「失礼だって?どこが失礼なんだよ。お前はただ、思ったままを口にしただけじゃないか。俺を傷つけようともしてないし、陥れようともしてない。侮辱したわけでもない。ただ、抗議しただけだ。分からないと言っただけだ。それのどこが失礼なんだ?」
「だって、大きな声を出すと、母はいつも怯えて、怒り出したんですよ」
「・・・・・うむ、お母さんか、そうか・・・・」
その人は、しばらく黙っていたが、
「確かに、黙って逃げれば、失礼にはならないし、誰も驚かさないかもしれないな。でも、それは思いやりのない行為だ。違うか?その人を、間違ったまま放置するんだからな。そんなことするくらいなら、ちょっと大声を出したくらい、何だ。親子だろ?そんなことで、親子がなくなるか?水くさいじゃないか。そうは思わないか?」
「そうですねぇ。うん・・・は・・・は・・・はっはっはっはっは」
と、大笑いになったそうだ。
その人は、その日から突然パワフルになった。観客がいようといまいと、思いついた芸術的アイデアは全部、実行するようになった。

人は、いくつになっても、良い子でいようとして、あるいは人気者でいようとして、外見を取り繕うようだ。
そして、そのたびに少しずつ、パワーを失い、人生は明るさを失い、重く、不自由になって行く。そうであっては欲しくないくせに、
「人生なんて、そんなもんさ」
と格好をつける。

世間に対しては、思いやりの心を持つだけで、十分ではないか。それで、義理は果たしている。
それなのに、世間の評価の先回りをして、自分の評価を上げておこうとする。あるいは、そうするべきだという、神聖にして荘重な大哲学を作り上げる。

「ちゃんと、見えてるよ」
「糞みたいな誤魔化しすんなよ wwww・・・」
西原理恵のキャラが、そんな風に呟くのが、聞こえてきそうだ。


荒木飛呂彦の絵


これが、西原にかかると・・・
(台詞の奥行きが、
変に深まってたりして)


西原流のツェペリとディオ 


posted by インク at 09:34 | TrackBack(0) | 暮らしのひとこま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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