2011年04月27日

東京に原発を作れと怒る人々

最近になって、
「福島は、東京の犠牲になってきた。これ以上はゴメンだ」
「東京の電力は、東京がまかなえ」
「安全だと言うなら、東京に原発を建ててみろ」
「東京の人間は、東京の原発で暮らせ」
という主張をする人が、マスコミに妙に取り上げられ始めた。

この議論は、こちらに詳しく載っている。
170件の意見が寄せられ、賛同者は半分くらい。明確に反対している人は、そのまた半分くらいだろうか。残りは、どちらとも言えない感じだ。

内容は、ぜひご自身の目と頭で確かめていただきたい。

さて、ぼくの知る限り、この主張はサヨクの昔ながらの主張だ。
最初に言い出したのは広瀬隆。ぼくも、かつてはファンだった。

 

その頃のぼくは、生協にも加入していて、「安全な野菜」とか「安全な肉」「安全な魚」に凝っていた。
たしかに、味も匂いも違っていて、ほんとうに美味しかった。

だが、その頃から反原発を訴えるサヨクが生協に入り込み出し、生協祭りがアカハタ祭りになってきた。さらに外国人が増え始め、多文化共生がしきりと言われるようになった。
もちろん、外国の食にも文物にも興味があったぼくは、お祭りには欠かさず参加していたのだが、大好きな金子みすずの詩を、彼らが引用し始めるに及び、堪忍袋の緒が切れ、参加を取りやめると同時に、生協運動からも身を引いた。

芸術作品の政治利用。
ぼくは、サヨク運動の中でも、これが一番許せないのだ。
こういうことを平気で行える、無神経で冷酷な心性だから、リンチ殺人事件だの、内ゲバ殺人だの、空港銃乱射殺人だの、大量虐殺だのも平気で起こすんだと、今でも信じている。



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2011年04月26日

コミュニケーションが足りないと・・・

今回、TVや新聞の伝える菅さんの姿を見ていて、あることに気が付いた。
それは、
1.菅さんは、コミュニケーションが悪い。というか、実際の世の中と、ほとんどコミュニケートしていない。
2.同じことが、ルーピーにも、小沢一郎にも、蓮舫にも、枝野にも、仙谷にも、輿石にも言える。
3.彼らは、一方的に命令はしたがる。自分の価値観、自我意識を押しつけたがる。だが、他人の価値観や自我意識には関心がない。まるでない。
4.だから、彼らが政治権力を握ると、押しつけか、破壊か、嘘をついての人気取りしかできない。


逆に、自民党はどうか?
・県連から、県単位で有権者の声が届く。
・市町村でも、有能な議員がグループをまとめ、有権者の声を届けている。
・族議員がいて、業界、官僚の声をまとめている。
・党の実力者は全員、族議員上がりである。
など、民主党に較べれば、国民とのコミュニケーションのラインは、はるかに太く、多様になっている(それで十分かどうかは別だが)。

では、前回の衆院選で、民主党に投票した人達のコミュニケーションはどうなっているか?
1.TVと新聞しか、情報源がない。いわゆる情報弱者。
2.自分の目と頭で考えることができず、すぐ付和雷同する。
3.自虐が進歩的だと言われた、異常な時代に青春を送り、未だ嘘を信じ込んでいる。

要するに、サヨクであろうがなかろうが、情報が少ない、コミュニケーションが少ないことが、諸悪の根源なのであろう。
しかも、悪いことに本人たちにその自覚はなく、したがって余計な操作や統制ばかりしたがり、却って問題をこじらせるのである。

否、それが
「余計な」
お世話であるかどうかすらも、本人には分かっていないと思う。

 

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諸行無常の補遺

前回、書ききれなかったことがあった。

仏教では、この世の中は諸行無常であると言う。だが、それは見せかけに過ぎない。本質的には、不変である。
仏教では、この見せかけ(現象)と本質の関係を、
「色即是空」
と呼ぶ。
見せかけの、移ろいやすい現象世界を「色」、不変である本質の世界を「空」と呼んだわけだ。

同じことを、西洋哲学では、形而下と形而上の世界と呼んで区別している。
PhysicsMetaphysics だ。
形而上、形而下の「而」は、強調の単語で、形を強調している。意味的には
「形のその上=形以前の世界」
「形のその下=形以後の世界」
という意味だ。
図で説明すれば、すごく簡単で、以下のようになる。形以前の世界から、形ある世界が生まれてくるわけだ。 形而上と形而下

科学的には、物質やエネルギーの世界と、それらを生み出す世界の違いになる。
「定量的に捉えられる世界と、質的にしか捉えられない世界との違い」
と言い換えることもできる。
時間も空間も、目に見えるので、定量的世界(物質世界)に入る。素粒子の活動でできているものは、すべてここに入る。
しかし、「生命」とか「素質」と言ったものは入らない。
科学は、「生命」や「素質」の結果は観察したり、計算したりできるのだが、「生命」や「素質」そのものについては、観察することも、計測することもできないからだ。
ゾウリムシ、ミジンコ、細胞膜、DNAなどは、生命活動の結果ではあるが、生命そのものではないのである。
これもまた、図で表せば簡単だ。 原因と結果

※参考『科学の方法中谷宇吉郎(岩波新書)

日常的な言い方をすれば、目に見える世界と目には見えない世界のことだ。 美味しいカツ丼を出してくれるお店の台所には、必ず有能な料理人が隠れていて、黙々と調理しているものだ。
メルロ・ポンティなら、
「目に見えるものは、目に見えないものによって支えられている」(『知覚の現象学 』)
と言うだろう。
ポンティは、ゲシュタルト心理学で言う、「地と図の関係」を敷衍したのだが、「有能な料理人とカツ丼の関係」
も、その
「地と図の関係」
に似ている。
地がなければ図はなく、図がなければ地もない。有能な料理人がいなければ、美味しいカツ丼はなく、美味しいカツ丼がなければ、有能な料理人も育たない。色即是空、空即是色。
図示すればこうなるだろう。 
色即是空

 蔡國強と北野たけし たとえば、蔡國強のひまわりの絵は、植物という生命体の
「誕生・成長・死滅」
を描いたものだが、それが「色」である。それは、見せかけなのだ。
「空」は、生命そのものである。
生命そのものは、誕生もしなければ、死滅もしない。それは、様々に姿を変える力を持つが、それ自体は不変なのだ。

だが、ルネッサンス以来の科学の驚異的な発達は、この「空」の世界の軽視を生んだ。
しかし、いくら軽視しても、あるものはある。その影響は否定できない。むしろ、その存在を否定する所から、色んな無理が生じてくる。

その典型例のひとつが、共産主義思想(史的唯物論またはサヨク思想)なのだ。
これほど、生命の自然に反した思想もない。

 

 

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posted by インク at 14:30 | TrackBack(0) | サヨク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月17日

諸行無常

この世の中には、幾千万の事実があり、無限の出来事が起こる。
なぜならば、ひとつひとつの事象を決定する要因が、数え切れないほど多様だからだ。

たとえば、人の顔。
似ている顔はあるけれど、同じ顔はひとつとしてない。顔を決定する要因が、無限大にあるからだ。

中谷美紀 ザ・ブングルの加藤 加藤ローサ
柴咲コウ 片桐はいり ビビアン・スー

それゆえに、この世には二度、同じことは起こらない。すべては一度きり。そして、その一度きりが永遠に続いて行く。
常なるもの無し。諸行無常。変わらないものはないという教え。
ただし、それは見せかけだ。外見だけの話だ。

変わらないもの、永遠なものはある。
ただ、その姿が変わり続けるだけなのだ。
これを、色即是空、空即是色と言う。分かりやすく言えば、物事には形而上的(目に見えない)性質と、形而下(物質的で目に見える)性質があるということ。

ぼくはその空の方、形而上的なもの、目に見えない性質とコミュニケートしている。だから、悪いと分かっていることを、敢えてすることができない。
そんなことをすると、自分の中の本質が、悪い方向に変化し、自分を苦しめることを、知っているからだ。
これを、因果応報または、思考は現実化すると言う。

人が空=形而上的な存在=目に見えない性質と、コミュニケートしている事実に気づかない人たちは、悪いと分かっていることでも、平気で実行する。
そういうことをしても、自分が苦しむはずはなく、因果応報など起こらないと、信じ込んでいるからだ。
だが、その思考も現実化する。

ちなみに、そういう形而上的世界を信じない人が、霊を見る力があると言っても、ぼくは信じない。いや、仮に力があったとしても、邪悪な力だろうと考える。
そういう人は、自分の良心を踏みにじることが多く、心に負い目や引け目を増やしやすい。そしてそれが増えると、邪悪な力を吸い寄せてしまう。
不良同士が、惹かれ合うように。似てきてしまうのだ。

何の話をしているのかだって?

「この世に、理不尽なことはあってはならない」
と、思い込んでいる人たちについて、語りたいんだ。

諸行無常と言えるほど、安定したものがない状況下で、どうして理不尽なことが起こるたび、いちいち腹を立てなければならないのか?
そういうことをしていると、人はチェ・ゲバラになるか、宅間守になるしかない。
そう言いたいんだ。

チェ・ゲバラ 宅間守

ところで、ぼくはある人を尊敬している。
その人は、元自衛官だった。体を鍛えるために、5千回も腕立て伏せをやった人だ。
もちろん、そんな鍛え方は滅茶苦茶だが、軍隊式トレーニングは、メンタルの強さを作ることに主眼がある。

その人から聞いた話で、ぼくは自分の弱さも強さも、素直に受け入れて行くことこそが、ほんとうに強い心だと知った。
自分の長所も短所も認め、受け入れ、好きになる。だからといって、ナルシシストになるわけじゃない。根拠もなく、自分を高く評価するのは、頭がおかしい。
そうではなくて、精一杯頑張ることを経験すると、自分の有能さも無能さも、そのまま好きなれるようになる、というだけだ。
「あ、これは苦手。辞めた方が良い」
「あ、これは得意。お役に立てます」
そこの所が、スッキリしていて、隠すものがない。嘘がない。無理がない。
決して優等生じゃないけれど、決して問題児でもない。自分をよく知っていて、楽しみながら耐えることができる、そんな人になれるのだ。

事実、ぼくの尊敬するその人は、
「世の中は、こうでなきゃいけないんだ。こうでなきゃおかしいんだ」
などと、言ったことは一度もない。
反対にぼくは、
「こうでなきゃいけないのに、こうなってない。誰が悪いんだ?」
とあら探ししたり、犯人捜しをすることばかりしていた。

そう。サヨクはぼくと同じことをやって、何十人も・・・いや、世界レベルでは何億人も殺してしまった。
「世の中は、こうでなきゃいけないんだ。こうでなきゃおかしいんだ」
「こうでなきゃいけないのに、こうなってない。誰が悪いんだ?」
「許せん!」

ぼくも彼らも、この世の実相を許せないんだ。受け入れられないんだ。耐えられないんだ。
諸行無常、色即是空、因果応報、形而上の自然。そういったものを、受け入れることができず、この世の仮の姿を憎み、蔑み、叩き直そうとするんだ。

そのことに、良心の痛みを、感じないんだ。
憶測で、犯人をでっち上げているという、自分の嘘に気づけないんだ。
「犯人はいる!」
「オレの気分が悪いのは、全部そいつらのせいだ!」
そうやって、自分をイライラさせる現実を拒否するため、犯人を捜す(創造する)。そのことに夢中になる。
だから、ぼくはいつも苦しかった。
そして、ぼくの尊敬する元自衛官の人は、いつもユーモアに溢れ、ぼくを笑わせてくれた。
お説教など、一度もされたことはなく、いつも笑い話をしてくれるのだが、その内容にたまらないほどの滋養があった。

理想の世界を、夢見ることは良い。
だが、それを物事の価値の判定基準にしたことが、ぼくの大きな間違いだ。
そんなことをすると、減点法でしか、世界を評価できなくなる。それも、ひどく残酷な。

そうやって世界を眺めることは、自分への脅威にばかり気を取られ、ガチガチに固まることでもある。
それでは、外の世界や現実が、まるで見えなくなる。

逆に、世の中は混乱していて良いんだ、トラブルがあって当然なんだと、腹を立てることを止めれば、ホラ、外が見えてくる。
現実が、見えてくる。

自分への脅威や、自分の欠点、弱点ばかりが見えていたのに、それが消え、自分が好きになってくる。なぜか、自由になってくる。肩の荷が下りたような、気分の軽さがやってくる。
嘘から、解放されたのだ。力みから、解放されたのだ。そして、憎しみと怯えからも、解放されたのだ。
こうなれば、ほんとうの頑張りも、ほんとうの満足も、両方とも得られるようになる。

ぼくも、早くそうした境地に立ちたい。
民主党の問題、サヨクの問題は、ぼく自身の問題でもあるのだ。
彼らの醜悪さは、ぼくにとって、決して他人事ではない。

posted by インク at 21:49 | TrackBack(0) | 暮らしのひとこま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月16日

評価よりも結果

嫌な奴にあった。

海老蔵の上から目線ぶり どんな風に嫌な奴かというと、
1.知識が豊富
2.経験が豊富
3.だけど、人を見下すのが好き
4.攻撃の糸口を見つけるや、鷹のように襲いかかり、人に恥をかかせまくる。
5.自意識は強いが、惻穏の情がまるでない。
・・・という奴。

超上から目線のキャラ そいつに二日間、16時間余りにわたり、延々と自慢話を聞かせられ、時に説教されまくった。
仕事とは言え、ほんとうに辛かった。
他人の自慢話と、他人からの説教ほど、面白くないものはない。だが、自分の自慢話と、他人への説教ほど、面白いものもないに違いない。

ぼくにとって、その16時間は苦痛と屈辱以外のなにものでもなかったが、そいつにとっては、得意絶頂の16時間だったに違いあるまい。別れる時、もの凄く上機嫌だったもの。
でも、ぼくはげんなり。
帰宅して、そいつの意見も、顔かたちも全部忘れて、入浴し、映画を観て、さっぱりするのに、2時間以上かかった。

 

こういう腹立ちは、正しい、正しくないは関係ないようだ。
自動車教習所の教官が、嫌われる理由(口の悪さ)に似ている。

たとえば、一時停止が不完全だったとする。
不完全な一時停止違反は、とりあえずは道交法違反だ。でも、軽微な違反だろう。ふつう、大事に至ることは、まずないからだ。

だが、悪い方へ悪い方へと考えたら、決して軽視はできない。
大事故に繋がることもあるだろうし、警察官によっては、見とがめて切符を切る場合もある。
何らかの事情で、これ以上道交法違反ができない会社が、その違反者を馘にする場合も出てくる・・・というわけだ。

映画『免許がない!』 しかし、だからと言って教官が、 
「運転なんか辞めて、一生自転車に乗ってろ!」
「こんな簡単なこともできないのか!馬鹿か?馬鹿だろ!認めろよ、え?」
「気づかなかったじゃないよ!ちゃんと見てろよ!世の中を舐めてるから、そうなるんだよ!」
等と、教習生を侮辱することが、果たして許されるのだろうか?
「そこまで馬鹿にされる理由はありません!」
と、誰だって言いたくなるのではないだろうか?

要するに、理由が正しかろうが何だろうが、人は侮辱されることを、決して許さないわけだ。
それは、この間TVでさんざ流れた金子みすずの詩にも、詠われている。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。

辞書を引くと、
「正しい」
とは、
「よいとされるものや決まりに合っている」(広辞苑)
という意味で、
「侮辱」
とは(漢和辞典から判断すると)、
相手の自信を奪い、いたたまれない気持ちにさせる行為
を意味している。

いたたまれなくなれば、その人は消える。
この世には、周囲の人間を手当たり次第、消してしまいたい人間が、何人もいる、ということなのかもしれない。

ぼくも、たぶんその一人だ。

今回の16時間に及ぶ苦行は、決して無駄ではなかった。
ぼくは、気づいた。
ぼくは、今まで民主党やサヨクの主張に対し、人を侮辱し、消し去ろうとする意図を、強く感じてきたが、
1.ぼくも、サヨクを侮辱することで、サヨクと同じことをやってきている。
2.大切なのは、評価ではなく、結果を出すことだ。

あれはダメだ、これはダメだとレッテル貼りをする。
また、その理由を延々と書きつづる。そして、それがいかにも正しそうに見えたとする。
でも、そんなことに価値はない。

大切なのは、より良い結果を出す行為だ。
政治ブログで言えば、事実を述べること。数字を出すこと。ソースを明確にすること。
西岡議長の菅内閣への苦言も、政治家として、より良い結果を出そうとした行為だ。こちら
これに対し、NHKが石原都知事の発言から、
「パチンコ」
の部分だけをカットして、自販機だけの規制に世論を持って行こうと操作しているのは、公共放送の職分を忘れ、パチンコ・マネーに買収された行為であるか、少なくとも評価の改ざんだ。こちら

菅が、どのくらい無能か有能かと言った評価は、各自が自由に持てば良い。そして、そこでは争わないことだ。
互いの意見の違いは、認め合い、そっとしておくことだ。
だが、良い結果だけは出すことだ。
菅の辞職しかないと思った政治家は、そう提言すれば良い。ブロガーは、正確な情報を流すべきだ。
だが、何の力もないぼくが、同じことを言って何になる?それでは、良い結果は出ないではないか!

結果の出ないことに、熱中してどうする?
総理や野党党首でもないのに、そっくりの発言をしてどうなる?
ランキング上位のブロガーでもないのに、ジャーナリストの真似をしてなんになる?
日本を代表する哲学者でもないくせに、日本の全知識を代表するような発言をして、いったいどうなると言うのか?

だから、今の政局や政治家が、どのように見えてこようと、そのことでは決して言い争うことはせず、とにかく日常生活に、良い結果が出るよう、毎日を工夫して行こうと思うのだ。

正しいことを言おうとするのではなく、良いことをする
正しくなくても良いから、良くあれ。
そんな風に思った。つくづく、思った。

 

 

 

 

 

 

 


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2011年04月03日

菅総理、被災地を慰問


被災地にやってきたのは良いけれど、どういうわけかやたらご機嫌で、ニヤニヤし続けの菅総理。
つい、口をついて出た冗談がこれ・・・。
菅のKYジョーク 
まぁ、ほんとにこんな状況で言ったのかどうかは知らないけど、かなり不謹慎だったことは確か。詳細はこちら

現稲城市長の石川良一氏は、30年前菅直人に会ったとき、こんな印象を持ったとHPに書いている。
「この人は目の前にいる生身の人間に興味を持てない
そして、現在の菅の行状を厳しく批判する。
「他者に興味のない人が、人の心を理解できるはずもなく、人間の集団である組織など動かせるわけがありません」
こちら

慰問された、被災者の声も記しておこう。

男性
「まあ・・・一応来てくれたってところは、まあ・・・うれしかったですけど」

女性
「菅総理にお願いしたんだけど、がんばりますとの答でした。どのくらいがんばってくれるのか、どのくらい期待したらいいんだか・・・」


女性
「(総理が)到着するから会場をきれいにしてくださいとか、これはちょっと・・・。車を整理してくださいとか・・・何でここの、いま大変なときに、そんな体裁をつくらなきゃならないのかなと思って・・・。ちょっとこれは意外でした」

凄いね。掃除とかさせられちゃったんだ。被災者なのに・・・・。
サヨクのやることって、結局は中国、北朝鮮、旧ソ連そのままなんだね。外面だけは良くて、内面は鬼畜そのもの。
弱者の味方を演じるのは最初だけ。いったん権力を握ってしまえば、後はもう、逆らう者全員を収容所行きにすると・・・・。

日本に、独裁者は要らないよ!
みんなで力を合わせなきゃならないときに、自己チューな奴は邪魔なだけ!

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福島県産の野菜を食べ、水道水を飲もう!

野菜サラダをほおばる丸川珠代参院議員ら自民党議員=30日午後、東京・永田町  

手前で大口開けて、野菜を頬張っているのは、自民党のマドンナ丸川珠代議員。
福島県産の野菜は、アンテナ・ショップなどで手に入るそうだ。

一方、菅直人は最後まで、福島県産の野菜を食べなかった。
たぶん、今夜も恒例の豪遊先、1回30万円はかかる超高給焼肉店で、夫人や身内を集めての焼肉パーティを楽しんでいるんだろう。
一月で計算したら、単純計算でも900万だ。その代金だって、ポケットマネーではなく、機密費から出ている。国民の血税じゃん。

そのくせ、河野太郎がミネラル・ウォーターを6本買っただけで
「買い占めだ!買い占めだ!」
と騒ぐ。値段的にも660円か。

安倍元総理や麻生元総理にやったのと、まったく同じ手口だ。電通共々、ほんとうに薄汚い非国民連中だ。

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2011年04月02日

辻元の悪辣な陰謀がバレた!?その2

発信元は、こちらのようだ。

上記の動画は、辻元とピースボートの連中が、どさくさに紛れて政府機関を僭称し、滞留させている膨大な被災地向けの、物資の一部になるだろう。
これらが滞留したお陰で、被災者や政府に足止めを食わされた住民が「兵糧責め」に遭い、凍死者すら出ているわけ。

今度、町でピースボートの連中を見かけたら、石でも投げてやろうか・・・。
(#`皿´)<怒怒怒怒怒怒!!!

ちなみに、以下は現地入りしている、現在落選中のはぎうだ光一氏のメルマから。

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posted by インク at 04:50 | TrackBack(0) | 震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

辻元の悪辣な陰謀がバレた!?

びっくりした。
(;´・ω・)y--ェエェ。oO○ェエェ。oO○ェエェ。oO○

噂はほんとうだったようだ! こちらのブログに、詳細が載っている。
辻元清美が主催する団体ピース・ボートの連中が、政府機関を騙って、被災地への物資を横取りしているのだ!

その狙いは、
民主党が物資を集め、被災地に運びこんだように見せかける
ためらしい。
抗議する人間が続出すると、彼らは以下のように脅迫に出たと言う。
 

img 
しかも、このことを書いたブログは、次々記事を削除されているように見える。

未曾有の国民災害を悪用し、まんまと救世主ヅラをしようとする辻元、民主党。
そして、それに失敗しそうになるや、連合赤軍並みの独裁的本質を露わにし、 日本人に牙を剥く、非国民辻元と、同じく非国民だらけの
「なりすまし政党」
民主党。
このような国賊を、日本人はいつまで許しておくのか!いつまで生かしておくのか!

南相馬市の桜井勝延市長は、
「兵糧責めだ」
と、世界に救援を求めた。下の動画がそれだ。




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2011年04月01日

武田邦彦教授が保安院の危険性を訴える

武田邦彦中部大学教授が、原発の危険性や、保安院という組織の問題点について語っている。

 

たしかに、今回も保安院や東電、政府は、武田教授の言うように、
「耐震に問題はなかった」
「放射線は漏れたが、人の健康には害はない」
とだけ、主張し続けている。
武田教授によれば、マスコミもわれわれも、この「論旨のすり替え」に
「コロッとやられちゃってる」
ことになるのかもしれない。
武田教授に言わせれば、
「じゃ、浜岡原発が東海地震の想定震源地の、真上にあるのはどうして?」
「人体に害がなきゃ、放射線は漏れても良いの?」
という問題になるからだ。

でも、ぼくらにしてみたら、今回の原発のダメージが、事実あれだけで済んでいるのなら、それは不幸中の幸いだし、漏れた放射線量も少なそうだから、風評被害の方が気になる。
だから、今この時期に、武田教授のような発言が出てくることには、かなり注意しないといけないような気はする。
下手すれば原発全否定、すぐさま閉鎖しろなどと言う、極端な話に結びつきかねないからだ。

だが、武田教授はそんなことを主張しているのではない。本気で、原子力と向き合うなら、今の体制ではダメ過ぎると言っているだけだ。

もちろん、武田教授の認識には間違いがあるかもしれない(ウィキに、武田教授が使うデータへの批判が載っている)。
しかしそうは言っても、武田教授の主張が、注意しておくべき内容であることも、また間違いないと思えるので、今回記事にしてみた。

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posted by インク at 17:29 | TrackBack(0) | 震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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